[およそ読み終えた]

http://d.hatena.ne.jp/unau/20080907/1220758557

「烏合の衆」の定義が,違う気がする.
むしろ,「概要」のところに書いている説明のほうが「烏合の衆」の説明として的確な気がする.

このあいだうちから気になっていたのだけど,「スピリチュアルな概念から始まる『公理』」ってなんだ?
そんなのあるの?
公理って,精神論や感情論から隔離できる世界じゃないの?

とりあえずここまで.出かける.

「雛合の衆」は,それに属していると気分いいのだろうけれど,属していないときにそれに関わると異様に面倒なことになる.
からまれたりすると,なおさら.

あ,ひょっとして,いまの私が微妙にそうなのかも?
優先度が「今後 10 年以内に解決できればいいや」くらいに思っていることでも,メッセージなんか送りつけられると,一瞬,優先度が上がる.
一瞬だけどね.
私が属する民族は,そういう民族.

--

善か悪かって,私の感覚だと論外だなー.
さももっともらしく,数字を挙げてくる「雛合の衆」が,異様にめんどう.

--

「お雛さん」!(笑)
あぁぁ,うぅぅ,私もこの言葉を使いたいよう.

--

すうごうのしゅう
雛合の衆

よし,辞書登録できた.

--

思考が停止しちゃうのは,当然の帰結なのか.
うーん,そうかもしれない.
自分側にもあてはまっちゃうかな?
ただ,目に見える実害に至ったときに,思考を開始できるようになる,のかな?

--

この「共鳴装置」は,空間どころか,時間も越えるので,おそろしい.
そして,からまれると,めんどう.

--

およそ読み終えた.
反すうしていない.

ほぼ同じことを考えていそう.
まだ「残り 23%」の説明に(解釈に)たどりつけない.

主たる要因は,たぶん,世の中的に 2 通りあって,

P1. 儲けを意識して発案して主導
P2. 本気で信じている人が発案して主導

なんじゃないかなぁ.
P2. に儲けを意識した人がぶらさがると,P2 も儲けが意識にあがるので,もしかしたら,最終的には P1 と P2 は同化しているかもしれない.
意識しつつも,「主目的はそうじゃない」という P2 もいそう.

で,残りは,雛合の衆,と.
これが,私の見立て.

思考が本当に停止している人って,何割くらいなのだろう?
だいたいが,途中でうすうす気づくのだけど,「はじめちゃったんだから,ひけねえぜ,オイラは」状態なんじゃないかなぁ?

--

いま,「オイラ」と書いた瞬間に,眞鍋かをりが脳内を横切った.

この記事へのコメント

夕ヶュ≠
2008年09月07日 21:03
読み中にコメントで失礼。お互いに噛み合わない議論は望んでいないと思うので、2点。

えっと、まずは「烏合の衆」の定義について。
自分の言及したい集団心理を名付ける上でいろいろ思案した上、「烏合の衆」にこじつけるのはいいかも、と思って三省堂の新明解国語辞典第六版を引きました。辞書の説明が定義だとは思っていませんし、辞書には詳しくないので新明解の評価も知りません。
そういう経緯で名付けたことと議論の中身には関係がありませんので、今私のブログエントリにおいて「烏合の衆」とラベルづけしてあるものに対して、より適したラベルがあれば、喜んでラベルを付け替えます。
夕ヶュ≠
2008年09月07日 21:05
500 文字以内でコメントしろって怒られたよう。

次に公理について。
私の理解では、公理とは、「ある論理体系において疑いなく真とみなす命題」です。そして論理体系とはある公理群と推論規則だけから構築される命題群です。推論規則は感情論やら精神論はもちろん、物理法則すら関係ない論理だけの世界ですが、公理群の選択は、互いに矛盾する公理同士を含有することも含め、自由に行えます。
なお、「ある命題Xが公理となりうるかどうか、という命題」は、その命題Xを公理を含んだ論理体系の外側に存在する命題です。(「『幽霊は実在する』という前提で議論を進めていいかどうか」という命題は、『幽霊は実在する』前提で行われている議論の中では真とも偽とも言えない。)
... おっと、言い切ってはまずいな。そういう命題を導出可能な命題を公理に含ませることは可能だし。まあ、本論でないからいいや、ということで。
2008年09月07日 21:07
いや,ラベルは適切(適当)だと思うのだけど,「定義」のところに書いてある説明よりも,「概要」のところに書いてある説明のほうが的確だなーと思う.

「コメンテーターの発言」に引かれる場合,「烏合の衆」の本質である「統制がとれていない集まり」にならずに,「コメンテータの発言に拠る集まり」にもなりやすいから.
2008年09月07日 21:09
> 500 文字以内でコメントしろって怒られたよう。

ええ.
一度書くと,削除できないこともあって,ここでコメントするには下書きが必要な場合があります(^^;).
2008年09月07日 21:14
うーん,やっぱり「公理」という言葉の使い方が,私と違うかな.
つまり「スピリチュアルな概念」が関連できていいのは,「公理を選択する側」であって,「公理」じゃない,というのが,私の「公理」使い方の根源です.

私の「公理」の使い方だと,「議論を進めていいかどうか」は,あらゆる議題において,「公理」になりようがないです.

2008年09月07日 21:52
私の言うところの「公理」は、Wikipedia に書いてあるような意味の「公理」です。→

「議論を進めていいかどうか」という言説は、適当でなかったかもしれないのでとりあえず置いといてもらってもいいです。
私が言いたかったのは、「人間の魂は輪廻転生する」ということに疑問は差し挟んじゃいけないよ、それは真だと仮定した上で話し合おうね、という前提の下で議論することは自由であり、そのルールの中で論理的厳密性を保ったまま議論することも可能だ、ということです(そこから創造的な何かが産まれるかどうかという話とは関係なく)。この場合の「人間の魂は輪廻転生する」のことを「公理」と呼んでいるだけです。数学的概念の「公理」もそうだと思っています。
なるひこ
2008年09月08日 00:36
いや、この内容を読んで議論してる NOIKE さんも夕ヶュ≠さんもすごいと思いました。
オイラは当該エントリの言葉遣いだけでクラクラ来ちゃって読めませんでした。

たぶん世界は広いから、同じような内容をもっと平易な言葉で私に説いてくれる人がいると信じることにします。
ラカンやデリダが読めなくたって、人生生きていけるもん。<開き直り
2008年09月08日 06:05
夕ヶの行李は嫌いです.

じゃなくてね(^^;).


違う例を挙げてもらったのだけど,やっぱり,それも数学的概念の「公理」とは違う気がするんだ.
Wikipedia に「~仮定のことである.」って書いてあるけれど,これって間違いなんじゃない?
Axiom だぜー?
「ある状況下で,形式的な記述を用いて論理的に示せること」じゃないかなぁ?
夕ヶュ≠
2008年09月08日 06:07
ああ、[読み中] が [およそ読み終えた] になっている。タイトル変えるなんて聞いてないよぉ。
別に実害ないですが。

推敲の作業中に「時間と空間を越えて」から「時間と」を削除したのですが、まあともかく、その辺りも含めて基本的には NOIKE さんと同じような考えを持っているらしいことがわかりました。
NOIKE さんのツッコミによって自説の不備、補強ポイントも見えてきたので、(気が向いたら)自分のブログのほうでまた書いてみたいと思います。
2008年09月08日 06:11
いま,辞書を引いてわかった!
Wikipedia の「公理」は,広辞苑を参考に書かれているとみた.
たぶん,「なぜ,証明を要しないのか」,その背景知識がないと,いかようにも読めるからだと思う.
証明を要しないのは,「証明なしに仮定していい」わけじゃなくて,「証明するまでもないことは,証明を要しない」という背景があるから,でしょう?
今度,これの情報ソースを見つけたら書いておくよ.
2008年09月08日 06:41
> オイラは当該エントリの言葉遣いだけでクラクラ来ちゃって読めませんでした。

いやぁ,私も,少し気合いを入れてからでないと読めないよ(^^;).
モチベーションがあるからやれるんだろうなぁ.

ラカンやデリダは,私も読んでないです(^^;).
2008年09月08日 06:47
> ああ、[読み中] が [およそ読み終えた] になっている。タイトル変えるなんて聞いてないよぉ。

うふふ.しかも記事のタイムスタンプも刻々と変えています.

「お雛さん」は,私もどこかで使いたい!(笑)
夕ヶュ≠
2008年09月08日 06:53
awk 1 < なるひこさん
私としてもできるだけ平易な言葉で書きたいのです。
なぜかというと、内容に対してのツッコミを求めているからです。
最高のツッコミは、「それって△△の××って本に書いてあることの二番煎じじゃん。くだらねー。」とかです。
××を読むだけで、私よりも精緻に考えた論に会うことができるので。
EOF

ただの cat でいいじゃん!
夕ヶュ≠
2008年09月08日 06:54
# 500 文字制限を避ける work around
cat <> なるひこさん
で、そういうツッコミをくれる可能性がある人を、「言葉遣いが難しい」という内容に直接関係ないところではじいてしまったら、まったくもってもったいない、といったところで。
自分の求める味のラーメンを食べたいけど、そういう店をなかなか探し出せず、結局自分で店を出して自分なりに工夫しているけどなかなかその味にたどり着けず、自分のラーメンを食べて「何これ、○○のパクリじゃね? あっちの方がうまいし」と言ってくれるお客さんを心の中で求めているけれど、なんか店構えを見て敬遠されて食べてもらうところまでいっていない脱サララーメン屋さん、みたいなものです(長い一文)。
難しくなってしまうのは、曖昧性を排除しようとする努力のせいで、それとは別に平易に書く努力も必要なんだと思います。「おじちゃん、味の追及も大事だろうけど、たまにはお店をもちっとこぎれいにしたら?」みたいな。
EOF
夕ヶュ≠
2008年09月08日 06:55
# 500 文字制限を避ける work around
cat <> なるひこさん
ラカンもデリダもわかりませんが、すごいレベルの味を求めていて、味の探求に必死だから店構えなんかに構っていられないのだろうと勝手に思っています。でも、彼らのレベルの味はものすんごいことになっていて、店構えに関係なく食べに行く食通がいて、その中には「この味をこんなとこで眠らせてちゃもったいないぜ。おれっちが出前業務を代行して広めちゃる。」と、買って出る味にもうるさく、商売にも長けた人が「その店で食べるよりはちょっと劣るけど、雰囲気だけはじゅうぶん伝わる」という味に落として新しい顧客層を獲得する、みたいな、哲学解説書が出たりするのかな、と。
いまのところラカンさんの追求した味は私は特に望んでいないので、食べてみようと思いません。
デリダさんの求めた味は私の求めている味に近いところが多そうなので、時間があったら食べてみたいとは思っています。私が理解できるのは「うまい棒 デリダラーメン味」ぐらいまで庶民感覚に近づけてもらったものかもしれませんが。
EOF
夕ヶュ≠
2008年09月08日 09:00
修正
ラカンさんやデリダさんが求めている味はラーメンじゃなくて、最先端のフランス料理とか日本料理とか、そういうレベルですね。
なんで、「うまい棒 京都高級料亭なんとか亭の懐石澄まし汁味」みたいな感覚でしょうか。
なるひこ
2008年09月09日 01:54
あー、オイラが難しいと思ったことを批判ととらえているならゴメンなさい。

「雛合の衆」って造語自体もよいと思うし、いわんとしてることもなんとなく伝わりますけど、難しいというか衒学的に過ぎると私は感じたんですね。

けど、それがベストな表現方法だと思ってそう書かれているのであれば、読む人は読んでコメントくれるでしょうし。現に NOIKE さんは受け止めてるわけですから。

ただ、私であれば、いいたいことを正確に表してはいないかもしれないけれど、もっとキャッチーな言葉遣いをするだろうな、とは思います。

たとえば「真善美なんて言葉を今日日信じてる奴はバカだ。親鳥の代わりに耳あたりのいい言葉に引き寄せられてぴーぴー鳴いてる雛と一緒だから、『雛合の衆』とでも呼ぶか」とか。

と、人の意見を勝手に要約して喜ぶのはオタクのクセだったりするのであります。
2008年09月09日 06:02
えっと、なるひこさんのコメントに喚起されたコメントを URL → に。

なるひこさんのいう「衒学的過ぎ」な表現はベストな表現とは思っていません。時間的制約の中で必死に書いていると、まだ「衒学的過ぎ」てしまうんだと思います。
「衒学的」って言葉、普段使わないからよくわかりませんでしたが、辞書を引いてみて、私の文章はまさに「衒学的に過ぎる」ことが多いと思いました(痛いとこ突かれたなぁ、という感情とともに)。実に的を射た(イタタタタ)表現だと思います。

せっかく NOIKE さんに辞書登録してもらい、なるひこさんに造語自体はよいといってもらっている「雛合の衆」ですが、すでに私のほうでは適当な用語じゃないと感じて、変更するつもり満々です。

あと、「雛合の衆」については、馬鹿だ、とかそういうネガティブ/ポジティブな判断は表現に含まないようにしたいと思っています。そういう観点からの表現は、「たちが悪い」だけだと思っており、これは削除して再構築しようかな、とか考えています。
また、私自身が雛合の衆の中にいるのか、外にいるのか、という観点からも自由な表現にしているつもりです。
夕ヶュ≠
2008年09月09日 06:13
「残り 23%」は、お雛さんは「よく考えないで」じゃなくて、「かなりがんばって考えて」いるというところでしょうか。

あと、共鳴装置が自励状態になっちゃうと、「うすうす感じている」暇がないじゃないかと。正確には「うすうす感じているけど、共鳴装置から常に「立ち止まるな」信号が「うすうす」よりも強い強度で発信されてくるので、その信号に励まされて突き進む」かな。
うーん、集団催眠?
2008年09月09日 07:22
> 「その店で食べるよりはちょっと劣るけど、雰囲気だけはじゅうぶん伝わる」という味に落として新しい顧客層を獲得する、みたいな、哲学解説書が出たりするのかな、と。

それをやっちゃうと,たいていは本家に対して雛合の衆が群がるんだよねぇ.
2008年09月09日 07:33
私の感覚だと,定義から入る人との議論はしやすい,というのがあるかな.
「衒学的過ぎ」という表現をいま知ったけれど,私の場合は,そういうふうに感じる人がいることも承知したうえでやっている.

キャッチーな表現を使ってくれる人は,わかりやすいのだけど,いくらか曖昧性をもった表現になるので,議論を突き詰めていくときには,どこかで曖昧性のある部分の理解のズレを調整する作業をしなければならない.

お互いにわかりあったときに,振り返ってみて,果たしてどっちが手間がかかっていないかということを考えると,定義から入ってくれ人になるなぁ,私は.
どっちが疲労するか,というのは,本人の問題だ,というふうに私は切り捨てることができるので.
2008年09月09日 07:37
> 「残り 23%」は、お雛さんは「よく考えないで」じゃなくて、「かなりがんばって考えて」いるというところでしょうか。

あー,ここが私と考えが違うところかー.
「かなりがんばって考えているお雛さん」はいないと思っているんだ,私は.
ホワイトバンドだって,他者から「それって,これこれこうで,おかしいんだよ」とヒントを与えられると,お雛さんでも「おかしい」という考えに至れるので,まだがんばって考えていないのだと思う.

共鳴装置の自励状態にはちょっと興味があって,「教祖様」はそういう過程を通るのだろうなぁと思っている.
「教祖様のいるコミュニティは,なんちゃら」みたいなことをどこかで書いた.
なるひこ
2008年09月09日 13:55
「衒学的」というラベル自体が衒学的だった、というしょーもないオチが先に付いちゃいましたが。

まあ議論論をここでしてもしょうがないですから止めておきましょう。
少なくとも NOIKE さんの 7:22 と 7:33 のポストは概ね賛成ですけど、嫌なタイプの客がたくさん来ちゃってしんどい思いをしても、それでもなお集客が大事、店に入れてから選別するってやりかたもありますよね。
NOIKE さんのスタンスはわかってますけど、夕ヶュ≠さんはどっちなのかな? というのが興味があります。

本論にコメントできなくてゴメンナサイ。
それはまた後ほど。
2008年09月09日 15:10
微妙に本論に対してコメントすると,たぶん,本人も気になっただろう点として,
「烏」に対応する語として「雛」は,なんかクラスやレベルが違うなぁという点.
何か鳥の種類名で名づけるとすっきりしそうなラベル名だよね.
2008年09月09日 15:19
さすが,なるひこさんは,わかってますねぇ(笑).
私は,いったん自分の店の中にお客さんを入れちゃうと,追い返すのにすごーく意を決する必要があるんだー.
あとは,「間口を広げておいて集客してから選別して残るお客さん」と,「間口をせばめても通ってきてくれるお客さん」とは ≒ なんじゃないかと思うようになった.
そもそも,私自体がヘンクツだからね(^^;).

別のスタンスとして「しょうもないコメントは,斬り捨てる」というのあるのだけど,それをやっちゃうと,まじめにコメントしてくれていた人が引いちゃうときがあるので,それは適当じゃないんだなと思った.
コメント欄を消しておく,という方法もあるのだけど,完全に閉じちゃうのもナンなので,コメントをつけづらいように記事を書いていることもあります.
夕ヶュ≠
2008年09月09日 16:26
訂正
公理群→公理系